未来に生きる子どもを育てる保育の仕事に、これほど温かな言葉、高い価値をおいた音楽家がいるでしょうか。その人が「窓際のトットちゃん」の先生として有名な本園の創設者、小林宗作です。本園は、まだ武蔵野の雑木林が林立する昭和25年6月に創設されました。
当時、住環境、教育環境に恵まれた革新的な国立の町で子育てをしたいと願う父母が移り住み、幼児人口が急増しました。従って、多くの人々から国立音楽大学に対して幼稚園を設置するよう要請があり、隣接の町の教育関係者からもご協力いただいて、国立市で初めての幼稚園として誕生したのです。
小林宗作は、
として、明るく、自由に、のびのびとした環境の中で、一人一人の個性が輝く教育を目指しました。人間の生涯のなかで「はじめにリズムありき」として、自然に根ざしたリトミックによるユニークな教育方法を実践しています。それは、リベラルな国立音楽大学及び幼稚園から高校に至るまでの附属校の教育理念の根底に流れている精神につながるもので、創立以来、現在まで脈々と引き継がれています。
リトミックを日本で初めて幼児教育に導入し、
普及させた音楽家であり実践者。
小学校の訓導を経て、ヨーロッパに留学し、帰国後、日本リトミック協会を創設。自由が丘小学校並びに幼稚園(トモエ学園)を設立し、幼児、児童期の教育にリトミックを取り入れ総合リズム教育へと発展させた。また、東京市の厚生保母養成所等で総合リズム教育を教授し、後継者を育成するとともに、今日の日本のリトミック教育の基礎を築いた。
戦後、国立音楽大学、中学校・高等学校でリトミックを教えるかたわら、初代園長として、幼児期の総合リズム教育を充実させ本園の基礎を築いた。幼児教育一途に生涯をかけたその精神、当時では考えられないような自由な教育理念は、今日まで脈々と流れている。
大正15年、東京高等音楽学院(国立音楽大学の前身)を設立される。
その後、附属高等学校・中学校を設立。
附属幼稚園の設立に当たっては、小林宗作先生と親友であったことから、幼児教育にはリトミックは欠かせないものであることに深い理解を示され、小林先生の教育理念の実践のために協力を惜しまなかった。
幼稚園設立3年後に附属小学校を設立。ここに幼稚園から大学に至る一貫教育の理念を達成し、その後は一貫教育としての設備拡充のために邁進する。学園経営に対する手腕は抜群で、学校法人国立音楽大学の理事長として、今日の基礎を築いた功績は大きい。